その決断は、だれの意思?

 

日々、決断をするチャンスに恵まれている人は、

 

成長のチャンスも同時に得られています。

 

ですが、残念なことに、

 

その決断をする時に、

 

『なかなか自分では、決められない。』

 

という場面も多くありますよね。

 

今日はそんな話です。

 

 

決断を誰の意思で行うかによって、その後の結果も異なる

 

例えば、〇〇さんがそう言ってくれたから、

決断できた!という場合、

 

それは、あくまで決断したのでは無く

 

ただ『選択』しただけ。

 

となります。

 

 

僕は、何事も、強い意思があっての判断こそが、

『決断』であり、

 

その先に起こり得る全てのことに関しての

 

『責任を覚悟』できるもの

 

だと思っています。

 

 

その決断を下したのは、あくまで自分であり、誰でもない。

 

例えば、勢いよく決断したものの、

 

途中、なかなかうまく物事が進まないことも大いにあると思います。

 

ですが、その時に、

  • 『あ〜、やっぱりあの時、あっちの選択肢の方が良かったのかなぁ』と思う。

 

周りの意見に左右されながら、決めた為、まだ別の選択肢に心残りがある。

 

 

  • 今は、ちょっとしんどいけど、きっと最終的には、自分が思っているところまで行けるはずだ!

 

自ら判断し、明確なゴールを見据えた上で、決断できている。

 

この2つには大きな違いがあり、

 

前者は、誰かにまだ責任を押し付けていて

後者は、自らの責任を決め、前のみ見ている

 

のが、明らかです。

 

 

決断できる機会が多くなればなるほど、決断に対して、後ろ向きな考え方が少なくなる。

 

というより、決断する機会が多い人は、

 

きっと、今までの決断した方向性にウダウダと悩んでいる時間が『もったいない

と思っている人も多いと思います。

 

また、『なるようになる!』と常に前向きな気持ちでいるかもしれません。

 

 

誰かに責任を押し付けた瞬間にそれは、自ら『決断』したとは、言えなくなる。

 

まだまだ、今後起きることに対しての

責任感が芽生えていない為、

 

スタートしきれていないことにもなります。

 

 

もし仮に、勢いよくスタートした結果、

途中、たくさんの失敗があったとしても、

 

結果、『上手くいった』なら

 

それは、間違いなく『成功』であり、

 

もっともっと新しいチャレンジ

心の底から楽しめると思うんです。

 

 

本当に自ら決断しているかどうかは、すぐに見抜かれる。

 

結局のところ、

言葉にする内容や、行動などで、

 

意外とわかってしまうと思うんです。

 

 

なので、せっかくならば、

 

『よし!経験値を稼げるチャンスがきたぞ!』

 

と、前向きに挑戦していき、そのゴールに向かうプロセスを楽しんでいけたら、

より、良いなぁと思います。

 

noburu tada
最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

吉祥寺・下北沢【melt / emis / cofy / lamie】の4ブランドで5店舗の代表をしています。《スタッフの生活水準の向上》《質の良い働き方の実現》を大切に運営しています。興味のある美容師さん、美容学生さん、お気軽にご連絡ください。